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奥成達資料室blog版

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2007年 08月 20日

武田和命についていまになって思うこと

奥成達
1989.11.14 於:新宿ピットイン

武田さんは日本のジャズの最後の<伝説的テナーマン>と、彼が生きているうちから、ずっとそう呼ばれていたくらいの人だから、数えあげればそのまま一冊の本が書けるだろうくらい、たくさんの伝説につつまれていた人でありました。
ピアニストの渋谷さんはよく、(この人も日本のジャズの最後の伝説的ピアニスト、と同じように呼ばれている変な人の一人なのだけれど)その渋谷さんは、「武田が立って、そこで吹けばそれでジャズになってしまう」というのが、いつもの口癖でした。
そう、武田和命は、ジャズシーンに最初に登場してきたときから<天才>と呼ばれた、数少ないミュージシャンの一人だったとぼくは思います。それはもちろん1965年の、あの幻の、三ヶ月で分裂、解散した、富樫雅彦カルテットのテナーマンとしてであります。
ぼくは二十代から銀座の「ギャラリー8」や、そして「ピットイン」の熱烈なファンの一人だったので、当時ほとんど同世代だったたくさんのミュージシャンとよく遊び、よく学び(何を学んだのかよくわかりませんが)、よく飲みまわりました。おかげでいま、こうしていつのまにかこんなところでいまな亡き友人をしのぶ文章を朗読するような年齢になってしまっていたというわけです。
……
武田さんは、本来、こうした追悼のコンサートのようなセンチメンタリズムとか、日本的なノスタルジィというようなものを、はっきりと嫌っている人のように見える人でした。……ダンディズムというのは、一口に言うと、一個の芸術ともいうべきもので、その点、武田さんは正にこのダンディの典型のような人だったと思うのです。……純粋なダンディたちには何も報いられるものはなく、途方もない自己犠牲に耐えながらも、なおかつ彼らのすべての行為は常に無償の行為そのものだったのです。……一般の人々には無価値に映るものを、根気よく、自信を持って築きあげていくことによって、ダンディの存在の意味を、人々に印象づけていこうとしていたのです。つまりこれは、いうなれば「印象的な無」というようなものです。……ようするに、彼らダンディのすべては時代の流れを心の底から馬鹿にしていたということなのでもあります。
……
誰にもけっして真似の出来ない、壮絶といってもよいほどのテクニックと、たった一音のリードの音で人の心を簡単に奪いとってしまう強力な説得力を持っているのに、彼が嬉々として、水を得た魚のように演奏が出来た、と彼が自ら思えるようなことは本当は一度もなかったのではないだろうか、とこれもいまにして思ったりするのです。唯一の例外として、1966年12月27日の新宿ピットインでのエルヴィン・ジョーンズとのセッションを思い出します。
[この日のことは、平岡正明の処女ジャズ評論でもある『あさひのようにさわやかに』(1967.1)で詳細に記録されていて、これは平岡さんの最高のジャズ評論ではないかと、いまでもぼくは思っている素晴らしいエッセイです。]
……
どんなときにも自己発見の、だからゆえの自己破綻を繰り返します。自身との、その闘いの音楽のプロセスこそが彼のジャズだったのです。
……
彼は、武田和命という自己の「私」と、武田和命という人の吹くテナーの音の「私」の、幸せな合一をとうとう得られなかったジャズマンなのであった、ともいえるでしょう。……自分のテナーを吹く<表現者>でありながら、それを自ら聞き、たずねあぐねている<聴衆>の一人なのでもあったのです。「自分の音を聞く自分」というのが、武田和命の<ジャズ>なのです。……「私」であるところの「武田和命」が、あることを伝えようと意図したとしても、それを相手が理解してくれるとは限らない、という場合を常に正々堂々と生きてみることなのです。そして、聴衆の理解したとおりのことが、(たとえそれがどうとられたとしても)自分のテナーのメッセージなのだ、とそのままいさぎよく受け入れようとする男らしくてやさしい「ジャズの伝道者」なのではなかったのでしょうか。
それからこれから演奏する渋谷オーケストラについても一言僕流にご紹介をしておきたいと思います。渋谷オーケストラとは、一口にいって古今亭志ん生をリーダーとする「オレたちようきん族」プラス「とんねるず」のようなバンドです。つまり、若き「ひょうきん族」たちが、尊敬する古今亭志ん生からジャズのジャズたるスピリットをなんとか受けつごうとしている、とても心あたたまる、いま日本のジャズでもっとも大切なオーケストラだとぼくはいいたいのです。でわ、どうも長々と失礼いたしました。


・渋谷毅さんのブログアーカイブより武田和命さんのこと

by 4-kama | 2007-08-20 12:29 | ジャズ批評


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