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2009年 02月 22日

季刊「びーぐる 詩の海へ」第2号

c0069542_1274734.jpg季刊「びーぐる 詩の海へ」第2号
特集 モダニズム・異端の系譜 北園克衛から藤富保男へ

p49)北園克衛と藤富保男を結ぶもの 奥成達

 北園克衛から藤富保男に継承されたものは、その詩の"実験精神"という姿勢のみにあって、詩的な影響はまるで無いといい切ってもよいだろう。(北園作品への影響を受けることを最も注意深く常に回避して表現したのだから。しかしずっと目標ではあった、とはいえるだろう。)……
 藤富保男は北川冬彦のネオ・リアリズムから出発している詩人であり、モダニズムの「VOU」の詩にいくら似ているとはいえ、なにより詩のリアリティをまず尊重する詩人だったのである。(というよりこれは、いまでもそうであるはずだ。)……
 藤富保男が初めて北園克衛家を訪れたときのことを書いたエッセイがある。……この『パンツの神様』(TBデザイン研究所刊)は、藤富保男の唯一のエッセイ集だが、いまでもどこを抜き読みしても無類に面白い。……
 二人は俳句をつくっていた点でも似ている。……
 北園詩は常々変わらず発句的であり、一枚の絵を描くことに長けている。藤富詩はというと、にぎやかなひとり連句のようなシナリオ詩、といえるのかもしれない。つまり藤富詩はそれだけ「編集」的につくられているということである。……
 「完璧な虚構の構成」(藤富)と「ラインやスタンザを必要としない詩そのものの形態であり、リズムや意味を必要としない「詩のための装置」(北園)を目標としる詩人は、まるで噛み合う世界にはいないと思う。
 強いていま二人の共通点をあえて見出そうとするなら、大正15年3月の寺田寅彦の日記にある「西洋の学者の眼ばかりを通して自然を見て居るのでは日本の物理はいつ迄も発達しない。」というような詩学を持っていたモダニズム詩人の二人、といったらどうだろうか。……

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by 4-kama | 2009-02-22 12:04 |
2009年 02月 01日

「現代詩手帖」09.02

c0069542_21514495.jpg「現代詩手帖」09.02
特集:具体詩とはなにか 新国誠一、ゼロの詩学


p62)1961年12月のポエマ・コンクレートの思い出 奥成達

「ポエマ・コンクレート(形象詩)」というものを初めて見て、聴いて、自分が自らそれを音読する立場になったのは1961年12月のことである。
 場所は日比谷三井ビル8階のホール。
 12月19日に「新人類学会第一回総会」というパーティを兄(英輔)と開いた。
 藤富保男、白石かずこ、片桐ユズル,長谷邦夫、諏訪優、鍵谷幸信、長安周一、石森章太郎、パントマイムのテオ・レゾワルシュなど顔ぶれは多彩で、白石かずこさんはジャズをバックに「Now is the time」を朗読し、片桐ユズルさんは「安保反対」の詩を読んだ。
 藤富保男さんは「帽子を破り…」と読み、すかさず実際に帽子を破り、オーバーを着込み、サンドイッチを頬張り、「そして作者は退場する」という終句で去ってゆく。
 そして最後は聴衆も混じってツイスト・パーティになる、という何でもありの面白いパーティだったのだが、その出演者の一人に、ブラジルのポエマ・コンクレートの「ノイガンドレス」のグループに所属する詩人、音楽家のL.C.ヴィニョーレスさんがいた。……
 この夜の発表のためにわざわざ赤坂のブラジル大使館に、藤富氏をはじめわれわれメンバー十人ほどが召集され、レッスンというのか、にわかに特訓されることになった。
 つまりヴィニョーレスは指揮者。そのタクトでわれわれは整然と、高く低く合唱しなければならなくなってしまったのだ。「ヴェントウ、フォーリヤ、ヴェントウ」……


*平岡正明氏は『ジャズランド』の「戦後日本ジャズ史(17)最終回」にこのパーティのことを、「これは1960年代当初の鹿鳴館ではないか」と書いた。奥成達19歳、前年フラリと家出して、彫刻家になるつもりが川崎で牛乳配達のバイトをしながら喫茶店・まりもに入り浸り、まもなく神楽坂で染め物を習い、翌61年には業界新聞社に入社……。平岡氏はまた月刊『ペン』(1974.12)に「スラップスティック快人伝_奥成達&ヒズ・ギャング」として、このように詳しく記している。

・奥成達資料室/新人類学会総会
・奥成達資料室/新人類学
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by 4-kama | 2009-02-01 21:50 |