2015年 08月 23日

近藤正高『タモリと戦後ニッポン』

近藤正高『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)

P117) ハナモゲラ語を生んだ人間関係
……山下(洋輔)はトリオを結成したあたりから、ジャズ評論家の相倉久人(1930~2015)を介して筒井(康隆)をはじめ前出の平岡正明、詩人の奥成達(1942~)などといった人たちと親しく付き合い始めていた。それまで文化人のあいだでは、ジャズ・ミュージシャンとういのは少し特殊な人たちと思われていたふしがあり、直接に交際のあるケースは少なかったらしい(副島輝人『日本フリージャズ史』)。……

P134) 売りこみのための”バーチャル会社”設立
 赤塚不二夫と長谷邦夫の手でタモリはブラウン管デビューし、……。これと並行して、「ジャックの豆の木」内にタモリのマネージメント事務所として「オフィス・コズミダ」が”設立”され……。
 「ジャック」の常連の一人で、のちに演出家・構成作家としてタモリとともに仕事をするようになる高平哲郎によれば、「ジャック」のママは奥成達などが与太話で「タモリのマネージャ-をやってあげたら」と言っていたのを受けて、さっそく「オフィス・ゴスミダ社長」という名刺をつくって配り始めたという)『ぼくらの七〇年時代』)。

p148) 他人の考えた芸を自分のものに
 アルバム『タモリ』にも収録されているアフリカ民族音楽もどき「ソバヤ」も、もともとは坂田明のアドリブから生まれたものだった。ときは一九七六年二月一一日、作家の河野典生の家で、彼が小説の取材でアジア各地で集めた民族楽器の即興演奏を山下・坂田・平岡正明・奥成達などプロ・アマ入り乱れてやってみるという集いが催された。

P152) 「ジャックの豆の木」閉店とカラオケブーム
……
 「ジャックの豆の木」の閉店後もタモリは、奥成達や山下洋輔など旧「ジャック」一派とや四谷の「ホワイト」、また赤塚不二夫は演出家の滝大作、あるいは芸人グループとは新宿二丁目の「ひとみ寿司」「アイララ」といった店で、あいかわらずのバカ騒ぎを繰り広げた。……

P163) 全日本冷し中華愛好会の結成
……
 「ジャック」の常連客の一人、詩人の奥成達は「冬に食わせろと言うだけでは主婦連と同じでダメだ。革命運動にするにはもっと深い思索が必要だ」と主張、いわば思想的リーダーとして全冷中を牽引していくことになる。
 奥成はあくまで潔癖だった。エッセイでスパゲッティなど食べ物についてうんちくたっぷりに書いていた俳優の伊丹十三にも入会してもらおうと山下が提案したところ、「スパゲッティを語った口で冷し中華を語ってほしくない」と断固拒否された。元首相の田中角栄に会員になってもらったらとの話にも、「あの人は政治を持ちこむ」と強く反対している。田中の政治の良し悪しではなく、既成のものを借りてくるという姿勢が奥成には許せなかったのだ。
……
 それでも筒井康隆や赤塚不二夫など「ジャック」常連の著名人が続々会員となり、……奥成達が「冷し中華バビロニア説」を発表し、……。
 ちなみに奥成が冷し中華の起源を世界最古の文明の発祥地であるバビロニアとしたのは……。だが、その後、山下洋輔がヨーロッパでの演奏旅行中にドイツでソーセージに酢味の強調されたタレのたっぷりかかったヴルスト・ザラートというサラダを発見し、これこそバビロニアから西に「原冷し中華のタレ」が伝えられた痕跡だと結論づけられるなど(奥成は冷し中華をタレ・麺・具の三要素に分けて分析しるという方法をとっていた)、バビロニア説は思いがけず”立証”されていくことになる。

P184) ありふれた言葉に新たな意味が生まれた時代
……
 同時代のテレビ発の流行語にはまた、深夜番組『トゥナイト』(テレビ朝日、1980~94年)の性風俗レポートで映画監督の山本晋也が異常な光景・行為を表すのに連発した「ほとんどビョーキ」がある。じつはこの言葉の発生源は「ジャックの豆の木」の常連客だった奥成達だともいわれている。
 奥成の言う「あの人もほとんどビョーキだねえ」も、何かへの執着、極端に傾いた性癖、非常識な行動パターンなどを指していた点では山本と変わらない。ただし、そこには皮肉っぽくも相手への愛情がこめられていた(橋本克彦『欲望の迷宮』)。

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by 4-kama | 2015-08-23 11:15 | 書籍ウェブ登場編


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