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2005年 03月 27日

北園克衛『郷土詩論』を読む(38)

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「gui」vol.27 no.74 April 2005 (もくじはこちらからどうぞ)

p182) 奥成達 北園克衛『郷土詩論』を読む(38)

新倉俊一『詩人の世紀ー西脇順三郎とエズラ・パウンド』(みすず書房 2003)を「ミッドナイト・プレス」21号(2003)で評した八木幹夫の、西脇の『馥郁タル火夫ヨ』を正当に評価し得たのは春山行夫ではなく萩原朔太郎だった、という記述について。”正当に評価し得た”というハンダンを述べる姿勢を追究。
客観的にそれを確かめるべく、春山行夫「”超現実主義詩論”を読んで」(『詩の研究』厚生閣 1931.2)を、ついで、神原泰「超現実主義の没落」(1930.6)、西脇順三郎「シュルレアリスム批判」(『シュルレアリスム文学』天人社 1930.11)、鶴岡善久「瀧口修造の死・以後」(『シュルリアリスムの展開』思潮社 1981.5.1)、井原秀治「覚書」(『分裂機械』5号 1998.12)を引く。
……戦前か戦中か、戦後に生まれたか、という世代間のズレが、一篇の詩や詩論に対しても、ある時大きく影響し、のしかかってくるのは当然のことだし、やはりどうしてもやむを得ないことなのだろう。
しかし、それをなんとか無理矢理にでも対話し合い、埋め合うことができるようになっていくためには、それぞれの”思想””体験””歴史”の熱気からのみいつも一方的に出発し合うのではなく、それぞれのお互いの時差を離れた詩作の”方法論”についてももっと互いに討議し合うことが出来るようになれば、それが一番望ましいのではないだろうか。……

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by 4-kama | 2005-03-27 18:01 |


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