奥成達資料室blog版

okunari.exblog.jp
ブログトップ
2009年 02月 01日

「現代詩手帖」09.02

c0069542_21514495.jpg「現代詩手帖」09.02
特集:具体詩とはなにか 新国誠一、ゼロの詩学


p62)1961年12月のポエマ・コンクレートの思い出 奥成達

「ポエマ・コンクレート(形象詩)」というものを初めて見て、聴いて、自分が自らそれを音読する立場になったのは1961年12月のことである。
 場所は日比谷三井ビル8階のホール。
 12月19日に「新人類学会第一回総会」というパーティを兄(英輔)と開いた。
 藤富保男、白石かずこ、片桐ユズル,長谷邦夫、諏訪優、鍵谷幸信、長安周一、石森章太郎、パントマイムのテオ・レゾワルシュなど顔ぶれは多彩で、白石かずこさんはジャズをバックに「Now is the time」を朗読し、片桐ユズルさんは「安保反対」の詩を読んだ。
 藤富保男さんは「帽子を破り…」と読み、すかさず実際に帽子を破り、オーバーを着込み、サンドイッチを頬張り、「そして作者は退場する」という終句で去ってゆく。
 そして最後は聴衆も混じってツイスト・パーティになる、という何でもありの面白いパーティだったのだが、その出演者の一人に、ブラジルのポエマ・コンクレートの「ノイガンドレス」のグループに所属する詩人、音楽家のL.C.ヴィニョーレスさんがいた。……
 この夜の発表のためにわざわざ赤坂のブラジル大使館に、藤富氏をはじめわれわれメンバー十人ほどが召集され、レッスンというのか、にわかに特訓されることになった。
 つまりヴィニョーレスは指揮者。そのタクトでわれわれは整然と、高く低く合唱しなければならなくなってしまったのだ。「ヴェントウ、フォーリヤ、ヴェントウ」……


*平岡正明氏は『ジャズランド』の「戦後日本ジャズ史(17)最終回」にこのパーティのことを、「これは1960年代当初の鹿鳴館ではないか」と書いた。奥成達19歳、前年フラリと家出して、彫刻家になるつもりが川崎で牛乳配達のバイトをしながら喫茶店・まりもに入り浸り、まもなく神楽坂で染め物を習い、翌61年には業界新聞社に入社……。平岡氏はまた月刊『ペン』(1974.12)に「スラップスティック快人伝_奥成達&ヒズ・ギャング」として、このように詳しく記している。

・奥成達資料室/新人類学会総会
・奥成達資料室/新人類学
[PR]

by 4-kama | 2009-02-01 21:50 |


<< 季刊「びーぐる 詩の海へ」第2号      『58歳からの"知&... >>